病気とつき合う心の持ちよう

まずは考え方を少しだけ変えてみる

病気になると、本人も家族も医者も、病気を治すことには一生懸命になりますが、病気になった体とその後どのようにつき合っていくかを考える人は、少ないような気がします。

よく医者は、「手術で、悪いところを全部取りましたから、もう大丈夫です。退院したら、今まで通りの普通の生活に戻ってください」と言います。

しかし、実際は手術前とまったく同じ体力や生活を取り戻すのはむずかしいものです。

病気や手術法にもよりますが、手術を受けると体に傷がつき、大切な臓器が切り取られるため、「傷がツレる」「一度に食べられる食事の量が減った」「疲れやすくなった」などの不都合が出やすいのです。

それほどの不都合は感じられなくても、ここぞというときの体力がなくなっていたりと、以前の自分の体との何らかの違いを感じることは少なくありません。

たとえば、ケガをして腕一本失ったとしたら、元の生活に戻るのがどんなに大変か、誰でもわかりますよね

実は、表面上の手術の傷跡はたったの一本しか残っていなくても、手術の後の体の中は、腕一本あるいは足一本なくなったのと同じくらいダメージを受けています。

そして、抗がん剤は全身大火傷、放射線は部分火傷を負ったのと同じくらい、細胞レベルではダメージを受けます。これが以前の自分の体と違って感じられる理由です。

ですから、手術、抗がん剤放射線などの治療を受けた体は、自分が思っている以上に弱っていると配慮して、大切に扱ってあげてください。

また、手術や抗がん剤などの強い治療を受けなくても、「大病がやっと治ったとき」は、同じように、以前の体ほど無理がきかなくなっていることが多いものです。こんなふうに余力のない体で、無理やり以前と同じような生活に一戻ろうとするのは、それだけでも体と心にとって負担になります。

大病をわずらったときは、以前の生活、以前の自分のイメージを捨てて、「ゼロから新しい生活を作り上げる」と考えたほうが、楽に生きていけることが多いもの。

なぜかというと、過去の生活が捨てられないと、どんなに回復しても「前はこんなことは簡単にできたのに……。

まだまだ、以前の自分には戻らない」と自分を責めてしまい、元気になった実感がわいてこないからです。いつまでたっても到達できない目標を見続けることほど、つらいことはありません。

病気をしたときは、いちばん具合の悪かった時点をゼロと考えてみましょう。

そして、そこから新しくひとつひとつ積み上げたものを見るようにするのです。すると、「あのときよりも、こんなによくなった。こんなにできることが増えた」という日でいつも自分を見ることができます。

この方法ならば、ほんの少しがんばるだけで、よくなったことがはっきりと感じられ、張り合いも出て、早く回復しやすいものです。

また、病気は、体が自分に対して発しているシグナルでもあります。私たちの頭は、「このくらいの仕事なら、まだまだ大丈夫」などと言い聞かせて体に無理をさせますが、体は正直です。

日々の生活の中で無理が積もり積もって体に故障が起こった結果が病気なのです。つまり、大病の原因は今までの生活の中にあるというわけです。

ですから、元の生活に戻ってしまうと、また同じ病気が再発したり、体に余力のない分、もっとひどい病気になってしまう可能性も捨て切れません。

そういう意味でも、大病をわずらった後に元の生活二戻ることはおすすめできません。それまでの生活、これからの生活をしっかり見直すことが大切です。

「完璧に治ること」「元の生活二戻ること」を目標にせず、ヨ病息災」をめざしましょう。

病気は仲良くつき合っていけば、体のよいバロメーターになります。自分では、無理をしていないつもりでも、病気がぶり返してきたり、調子がばっとしないときは、知らず知らず無理のかかっているときです。

「どうしてこんなに、ポンコツの体になってしまったんだ」と嘆かず、「病気をして新しい体、新しい自分になったんだ。この体にはもう少しゆったりしたやり方が合っているんだな。ゆっくり新しい生き方を探してみよう」と、自分に声をかけてみましょう。

そうすれば、病気はひどくならず、仲良くつき合っていけるはずです。これが、「一病息災」の考え方です。